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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

バンコク市内


金佛寺では


パタヤはバンコクから2時間半ほど、
離れており、タイのリゾート地である。
そのパタヤから1時間車で来たところに、
金佛寺がありそこへ向かった。

今朝早くから、高速ボートに乗り金沙島へ行った。
パタヤビーチへ着いたのが午後1時半ほどであった。
我々は、ビーチから歩いて5分掛からない、
ホテルへと戻り、シャワーを浴びるとさっぱりした。

30分でシャワーを浴び、身支度をしロビーへ降り、
次の観光スポットである金佛寺へ向かった。


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金佛寺はタイの三代国宝の一つに数えられる。
この本堂の中は当然の如く撮影禁止であった。
そして、この寺に入る為の厳しいルールが有った。

必ずブラウスは必ず衿と袖が着いてなければ駄目。
ボトムは半ズボンでは駄目という事で、
聞いてなかった皆さんは、寺の敷地に入ってから、
用意されている覆い布で身体を包んだ。

しかし、その柄使いが派手な色である。
返っておかしいのではないかとも思ったが、
中国の皆さんはタイらしい柄と気に入っていた。


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有名な黄金佛


金佛寺の事を必死になって調べてみた。
日本人でありながら、中国語から日本語を、
探し出さなければならないと思うと情けなかった。

そして、何とか探し出せた。多分この寺だろう。
私には自信がないが、この寺の名前に間違いない。

多分そうではないかと思った名前は、
ワット・ミット?(金色の仏陀の寺院)

だが、バンコクのチャイナタウンの近くというが、
そんなチャイナタウンが有ったかな~などと思った。

この金佛寺には有名な黄金佛があった。
この中は画像の撮影が出来なかった。
カメラを構えるものなら、隅に座っている女性が、
大きな声で「No photography」と言っていた。

私は「写真が撮れないのか~」と思いながら、
その座ったままの仏像を眺めるしかなった。

座像の高さは3mはあろうかと思われた。
タイでも、その昔戦争で侵略された事があった。
敵からの略奪を恐れ、この座像佛を漆喰で固めた。


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他の場所に、永く安置されていたが、いつしか、
忘れられた寺院になってしまった。

時は流れ、タイに住む中国人達により荒廃した、
寺院の近くに、新たに寺院を建てた。

その時に、漆喰で固めた仏像を、移すときに、
漆喰の下が金であると分かり一時は騒然となった。
現在のお金で、120億の価値がある。
こんな説明は今書いていてなるほどと思う。

その時のガイドの説明では、名前や特殊な言葉が多く、
分からなかったと言ったほうが正解であろう。

そして黄金佛を見て、階段を下りるときに、
見張りの女性に「綺麗ですね」というと「有難う」と、
そして「写真撮ってもいい」と聞いてみた。だが、

笑顔で「撮影禁止」と言うのでまた「綺麗ですよ」と、
言うと、恥ずかしそうに「有難う」と、中国の
人から、仏の遣いの女性が気に入りましたか?
などと言われ「画像が撮りたかった」と門を出た。


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金の仏陀の寺


タイの首都バンコクからパタヤへ向けて、
車で1時間ほど走った所に、金佛寺があった。

そしてその寺の名前をどうして金佛寺というのか。
金の仏陀の寺という意味である。

金佛寺(ワット)の中は、全面撮影禁止になっており、
今回の更新では、仏像の画像は一枚もない。

その金佛寺から出て、歩道を右側へ回ると、
タイの街角で見られるような四面佛の外側のような、
建物の中に、佛ではなくどうやら、
ラーマ国王が座っているのか。


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国王としたならば、
なぜ国王がここに祭られているのか分からない。
この金佛寺はタイの三大国宝の一つである。
そうであるから、ラーマ国王が祭られているのかとも思った。

この金佛寺の寺やこの地域は、チャイナタウンの
近くに有り、タイ内外を問わず、ここに観光客を、
呼ぶため、この広大な敷地内に作ったのかも分からない。

この時には私はまた「ひとりぽっち」で動き周り、
ガイドの説明も何も無い中、ただ画像を収めていた。

その時は、画像に収めることに必死で、
後の事など何も思わなかったが、
こうして更新しようと思うと「あ~あっ!」と思う。


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道の両脇に白い街灯が規則正しく備えられていた。
ここでは、4月13頃に国の行事である「タイの正月」を、
この所で行うのだろうかなどとも思った。

しかし、どう考えてもタイランドの中の、
一つの宗教であるヒンズー教のような建造物が、
有るのか考えても考えるほど分からなかった。

現在、私の撮影しているこの地点の後には、
寺から出てきた人達が、私が退くのを待っていた。

私は、見学コースを逆送してきたのである。
私がこの画像の中心辺りで、ウロウロしていたのでは、
画像を撮ろうとしている人達も興醒めだったに違いない。

この金佛寺の敷地の緑の行き届いた配分には、
心を清々しくしてくれる何かがあった。

心が安らかな思いになるのは「金の仏陀」の力ではなく、
緑と水とが織り成す、風景の中で自分自身の心が、
感じている事であり、自分の心の持ちようで、
清々しくもなり、煩わしくもなると思った。


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池のグリーン色は苔?


タイでは見られる光景で多いのが、
挨拶をする時に手を合わせて合掌する光景である。

日本の場合は、頭を下げてお辞儀をする。
他の国の場合はスキンシップで抱き合う場合や、
頬にキスをする仕草の所もあり色々である。

中国はと言うと、首脳陣クラスはやはり、
欧米のように抱き合い頬にキスをする仕草をする。
しかし、一般の人やあまり親しくない人には、
握手ぐらいの挨拶でおわる。


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私の場合、中国にいて日本人同士であっても、
手を差し伸べ握手をするが、始めて来られた日本人や
メーカーの重役や社長さんなどは、戸惑いをみせる。

日本人同士では、いくら中国とはいえ握手を、
するべきではないのかも知れないとと思った時もあった。

しかし、私の場合、握手で今後の人間関係や、
仕事の発展等を確認する習慣がある。

握手を求めて、話しが終わり、お互いの交渉が成立し、
再度、別れ際に握手をする。


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この時の、握り方の強度によって、今後を洞察する。
手が痛いほどに強く握る人もあれば、
両手で強く握手をされる人も居る。

また手を差し伸べるだけで、力弱く握り返しもしない。
このような人は、大体後で商談が上手く行かないケースが多い。

あくまでも、私が世に出て、色んな経験の中から、
肌で学んだ方法では有るが、当らずとも遠からずである。

だから、私はどんなお客様であろうとも、
老若男女を問わず、力強く握手をするように心がけている。

画像とは全然違う記事になってしまったが、
この池のグリーン色は苔によるものなのか?
バスクリンを入れたような色になっていた。


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仏教で言う無常


パタヤから1時間ほどバンコクよりのタイの
三大国宝の中の一つの寺院に立ち寄った。

その広い敷地の中を散策しながら、
画像に収め、時間を過ごしていた。

池の辺りで見つけた花であるが、
以前、さなちゃんが連絡くれた花であろうか?
確かその花の名前を、ブーゲンビリアとかいったが?

この金佛寺の敷地内には、
あまり花畑はなかった。

タイの街角の四面佛の前には、
結構沢山の花が備え付けられていたが、
寺院の中には、花を植えてはいけないのだろうか?


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日本の寺院にも花は無かったのだろうか?
花は無情?有情?と語り合った若い頃もあったが、
実際にはどうなんだろう?

仏教で言う無常とはまた違う。
一切の物は生滅・変化して常住ではない。
自分の意志とは関係なしに時は流れていく。

嫌な事や嬉しい事があっても時は流れ行く。
幾度も、時間よ止まってくれよと願った時。
しかし、虚しく時間は流れただけだった。

この画像の花も時が立てば散っていくだろう。
そしてまた、季節が訪れれば花は力一杯咲き乱れる。

当たり前の自然の摂理だが、
人はどうして、そんな簡単な事すら出来ずに、
悩み苦しみ、無駄な時を過ごすのだろう?


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金色の子供の像


パタヤから1時間ほどバンコクよりのタイの
三大国宝の中の一つの寺院に立ち寄った。

その広い敷地の中を散策しながら、
画像に収め、時間を過ごしていた。

金色の子供の像は何の意味だろう。
その子供の像は2体あった。

私はふと小便小僧の事を思った。
その昔、小便小僧はおしっこで、
火を消したとか。

小便小僧の像が、いつ頃作られたかは、
知らないが、ベルギーかどこかの国。

しかも、こんなに金づくしではない。
タイの仏像や建造物も、
大部分が金の色使いである。

日本でも小便小僧なるものが造られているが、
金で塗られてはいない。


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私が以前住んでいた街の公園の入口に、
小さな子供の像が置いてあった。

このような裸の像ではないが、
空を見上げ遠くを見ている像だった。

私が子供から連想するものといえば、
計り知れない未来・夢・希望・・・。

しかし、中国にいて日本のニュースを見ていると、
悲しい子供のニュースが多すぎる。

守られなければならないはずの子供が、
いとも簡単に危険な目に遭わされ、
命を落としている。

そのニュースを見た中国人は、私に言った。
日本は治安が一番いい国と聞いていたけれども、
子供が巻き沿いになる事件が多いですね。

私は言葉を失った。
何と答えれば良いのか分からなかった。
まだ何も知らないこれからの子供を何故と、
私の方が、問い掛けたいくらいだった。


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岩山肌の座佛陀絵


パタヤから1時間ほどバンコク寄りの
金佛寺から15分車で走った所の岩山肌に、
佛陀の絵が描かれていた。

バスに乗ったまま画像に収めたが、
上手くこの画像が撮れなかった。

バスがその駐車場でストップし私達は降りた。
私は先にこの岩山と山肌に描かれている佛陀の、
絵を画像に収めようとして先を急いだ。

その岩山の中心位置まで来たものの、
黒っぽい山肌と白っぽい空とのコントラストが、
離れすぎ逆行のような現象に困った。

岩肌を重視するか、空を飛ばすか、岩肌の佛陀を、
重視するかと構図を決めているうちに、皆が、
私の背中辺りに来ていた。

「日本先生退いて下さい」
私はまだ撮影が終了してないので慌てて撮った。

それなりの佛陀の姿は撮れたのではないだろうか。
何度も中国の人から「記念写真を撮りますから」と、
とうとう致し方なく、その場を退いた。


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山の高さが15階建ビル(45m)より高く感じられた。
こんな高い山肌に、どうやって佛陀の絵を、
描いたのだろうとの疑問に変わった。

現地ガイドに聞いてみても、「わからない」
中国の医師にも、聞いてみたが、笑うだけ。

私は、手で四角を作りその四角から覗いて見た。
ふとある事が蘇ったが、その場では話さなかった。

20分ほど右へ左へ歩き考えた。考えてまた歩いた。
そして、「日本先生もう帰りますよ!」との声に、
一先ずバスに乗り込んだ。乗り込んでからも考えていた。

そして、この絵はまず設計図を元に、測量器を用いて、
綿密に計算しながら、印を打ち描かれたのではないかとも
思ったりもしたが、中国人からは、土地の測量も、
二人で行い、一人が測量器を見ながら、
一人が目標になる物を前後左右に動かして測量すると・・。

確かに、山の中腹に人が立つのは不可能だとも思った。
そして、ロッククライミングの経験のある私は、
下から、ハーケンを打ちながら登り、測量器の指図に沿い、
山肌に印をつけて、その印を伝って絵を描けば、
出来ない事はないと思い、前の座席に説明をしに行ったが、
医師も事業家も疲れで眠ってしまっていた。

私の考えは間違っているのかも・・・。
そして、下の画像は皆に露出を合わせたので、
山の色が飛んでしまった。


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何も知らない部門の画像


バンコクから2時間半でリゾート地パタヤへ。
そして、パタヤから1時間半ほど走った所に、
東芭文化村の民族文芸演技と象の演技を見学。

間もなく東芭文化村という所の花畑を、
バスの中から撮った画像である。

バスも50km以上のスピードだったので、
画像にブレが見られるが雰囲気は分かるだろうか。


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この撮影場所は、東芭文化村にあと1kmの地点。
広大な土地に、花園から庭園まであった。

その画像は、後日更新していきたい。

明日は朝(6時)から出張で、
夜まで帰って来られない。

画像の更新は、明後日よりになる。
だが、上手く行けば朝一に1ページと、
夜帰ってから、2ページ位は更新できるか?

ま~っ!無理はするまい!マイペースが一番!


DSCF8820.jpg


この花は何ていうのだろう?
またまた、私の何も知らない部門の画像だ!

分からないが、ツツジだろうか?
でもつつじは5月の花のようだが、
ここは南国である日本では5月でも
ここでは何月だろう?

このページでも??が多くなった。
知らない花だけど、綺麗な色のコントラストと、
思うのは私だけだろうか?

今日は、あと二つ位更新しておこうかな・・・?
それとも、明日の出張の為に、
風呂に入って、早く寝ようかな?

後から「早く寝れよ!」と言われそう!


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